本屋閉店、

40年、続いた書店が、まもなく、閉店する。「最初は、書源から、 書原、」へ。

先に、なくなった、Anecanやアサヒカメラは、ここで購入。中学校時代は、B1にあった。

青梅街道の中杉通りの反対の南、下は、パチンコ屋。

 「レンズマン、シリーズ」は、全巻ここ、最近は、「3001宇宙の旅」、

隣の靴屋は、?

 ファッション誌は、入口の外に置かれ、立ち読みの、teenは多かった。

1Fの下には、「レコード屋」があって、ここの、demoアンプは、DenonのPMA350、

おばさんが、3年くらいだった。

 アルバイトをするには、近くて良かったが、

pearl街にあった、「静誌堂」は、もっと歴史が長かったが、20年前には、なくなり、たしか、

大2の時に、閉店した。

 高校からは、日吉行きで、寄るのは、大成堂、渋谷。 新宿の紀伊国屋、小田急の

三省堂に。マイクロウェーブの本を。ここでは、徳間書店の復活を観た。

 出口にある、喫茶に、一度は寄ったが。「昆虫と自然」はここで。

アドホックでは、日本地理院の、地図を、ここには製図用具があって、高校時に、イギリス式

のコンパスを。時折、ドイツ式に目がいった。慣れなうと、イギリス式は、上手く

回らず、対称にでる、脚が FITして見えた。烏口は、高級品で、「加藤文太郎」が、

「孤高の人」で、使いだした。この蛭川という、人物は、印象に残ったが、典型の左翼に見える。

ここの、B1時代の、shop-manは、石川達三に出てきそうで、気が合わなかった。一緒に、来る、

同じく、「生物や」は、ここを、任せられそうになった。彼は、「熱帯魚」のshopでも、継がないかと言われている。

 彼の家は、ここから、すぐの、奥へ7-8m入ったところで、青梅街道がうるさいはずが、意外に

静かだった。「旭化成」の社宅だった。今は、柏で暮らしている。喪中が、2年続いた。

 西へ行くと、「大工やが来る、金物屋」、「畳屋」、「材木屋」が続いた。

更に行くと、荻窪陸橋の上りに、頂上には、1店の、店が。これは、5年ほどで、なくなった。このことは、引き続く、ベルト地帯の、一種の象徴に。高校時で、車がないために、ここを、何度か越えた。

 荻窪の最西には、「杉並公開堂、」があり、この入口の、「新星堂」では、LPの外版が手に入った。プロコフィエスの「ペトリュウシカ」は、ここで。やがて、四面道に。左折で、環八へ、だが、

善福寺川を川沿いに性格つけているのは、何かの矛盾で、荻窪あたりでは、工場地帯に感じられる。

最上流の「善福寺池」だが。

 

shoji's Ownd

ウェットなしなやかさ。あの日の NIKOMAT FTとNIKKOR 50mm F2.0 の画像は、Fシリーズにも匹敵、レンズの解像度、発色のcoolさは、fujiclomeを、普通のフィルムに変えた。 上記タイトルは、PMAシリーズの特徴だが、SX-3も驚き。

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