これが中学校以来の、宿題。
たいした、発想じゃないが、一応描いてみた。こういう画像は、何故、Pictureと呼ばれるのか、不思議だ。
美術の時間、大嫌いな教師は、これに、万点を。私が書いたものは、ミジンコの、MACRO画像。
たしかに清々しくないが、本人は満足だったのだ。この教師、理想があり、当然、担任の英語の吉田先生の意見は聞かないわけで、木下先生は、あまり評判が良くなかった。彼は、質問があるのなら、後で教員室までこいと言って、後回しにする。だが、生徒の評判は、よく知っているので、悪くは言えない。といったもので、全然怖くないが、メガネの下の目は時折笑うのだ。
背が高く、不良の貯まりの、「野球部、」の監督をしていたが、問題は起きなかった。だが、高校入試、
「慶応に、入学金を収めたのなら、早稲田は見なくてもいいだろう。」
時計を忘れてのぞんだ、早稲田学院の結果は、いいだろうというのだ。こちらも、感情的になり。
「そうですね、じゃあ、やめます。」
腹はかっかと、なり、背の高い教師の首から上を、見上げていった。
「先生、石見はいいやつだからいいけれど、その他大勢は、一生、ダメになったね。」
そして、恋敵の、原因の山本は、多分、33群落ちで、美人は、test に弱いもんだと、二人で、3月ストーブに並んで、暖を取っていた。無言の、俺たちは、とうとう、吉田先侯の薄くなった頭の毛を、見送ることに、依存はなく、黙って2時間座っていた。
「おい、早苗は、これからどうするんだろうな、頭がいいのに、点数は良くないし、いずれ、美人でなくなったら、おしまいだ。」
石見の鋭い視線は、明らかに怒っていた。
「だがなあ、執行部にはせわになったしなあ、それに、早苗は、人格者じゃないし、いずれ、教師に騙されて、どっかへ行くんじゃないのか。」
「カーン、」
と音がした。誰かが、硬球でバッティングを。
トスをしているのは、早苗だった。だが、先生、全部天ぷらじゃんばあ、
「俺、いうのをやめたよ、あれでは、一生涯が、無意味だ。」
そういう、彼は、結局東大には入らずに、普通の私大に、その目が或いは、と思わせる才気の男だが、無力な人生を決めてはいた。
志村との、すてごろに、辛勝した、俺だが。
「あのですね、石見くん、そういうものです。」
「××カンチョウ」に、された、ただひとりの野球部員は、幸せだったろうかが、問題に残り、
「あれが、ペンディング様、ってことさ。」
それから12年、あいかわらず、同窓会のはがきに、「欠席」を、囲んだが、幹事はあいつだった。
「忘れていないんなら、いいけれど、怖いって、こういうのよ。」
と言われたようで、一瞬、石見の顔が歪んだように見えていた。
高一、「三島由紀夫が死んだ。」
自衛隊員は、どんな目で見ていたのだろうか。
「ここに、憂国の志士が、いることを、惜しいことに、誰も気づいてはいなかった。」
ついに、日本の空の防衛隊、
「ああ、T2が落ちたのか、見たよ。」
あれでは、木っ端微塵に、あんた、証拠ってないのさ。ええ、戦技研が乗るべき、次の設計にはいらざる負えなかった。
翌、翌を重ねて、 T-4 が完成。アンチスキッドにちょっと、手を貸しただけだが、飛んでいく7機は、空中で、50cmで、
「いいなあ、でもぶつかったら、おしまい。」
オーストリアGP、同じかどうかね。あれは900kmは出ている。332km/h ではね。
「エゲレシ問題は、始まった。」
EC各国は、対応に忙しく、どこで、だれが餓死したということにも、目を配っている。やはり、強いのは、「モハメッドアリ」だけだろうね。
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